『この世のことは解らない守護神界』 《癒奏術・山桜の章》
実のところ、もっと守護神たちがいろいろと動いてくれて、様々な導きをそれぞれの人に降ろすものだと思っていた。
何せ【神】と称されるのであるから、ある程度のことをこちらの世界で行えば、それに呼応して守護神が神々と連携するのかと初めのころは思っていた。
だが、実際のところ守護神たちは「何をしていいのか解らない」状態であった。
守護神の次元を超えて、更なる上の神様方への道を開いても
「それをどうしていいのか解らない」
それが守護神たちの五次元世界の実相である。
【修祓】を行い【雷華】を行い、ようやく『守護神たちにも指導せねばならない』という事実を目の当たりにした。
この世でも、この先何がどうなるのか解らないように、五次元の霊人たちも「解らない」のである。
この世と霊人たちの世界の岩戸が閉じられているのと同じく、霊人たちの世界と神界もまた岩戸が閉じられているからである。
それを「繋いで」みせて道を造り、さらに乗り物たる【龍】を渡せども、やはり「何をどうすればいいか解らない」のである。
それゆえ【厳瑞劔(いづのめ)】の三つの癒奏術は、この世と神世の真ん中の霊人たる守護の世界に対して「神界」からと「この世」からの上下挟み撃ちをする形で「中間」の霊人たちに『指導』と『導き』を与えるものである。
三界三層の軸を合わせるため、こちらと神界を合わせて来たのが今までの癒奏術であったが、いっこうに真ん中の五次元世界の軸が合わない・・・・
だから、それを合わせるために【伊豆能売の神々】の力を借りて、五次元界に『指導』をしているわけである。
上の世界でもこのような状態である。
現界の人々が一向に先へ進めないのもよくわかった。
おそらく上の世界の霊人たち、守護神たちは、伊豆能売の女神に峻烈な指導を受けていることだろう。
「中枝」と呼ばれる霊人世界は確かに大変であると思う。
上の神様方と、下の我々現界を取り持つ『結び』であらねばならないわけであるから、その存在は非常に重要な役割を担うわけである。
長い年月の間・・・・何千年もそれを忘れた状態で来たのだから致し方ないが、神界から強烈な導きのエネルギーが来ても、全く気付かないという有り様はどうかと思う。
気付いてはいたがどうしていいのか解らなかった霊人、守護神も多いのだろう。
だが、多くは「過去の踏襲」を続けるばかりであり、それを変えようとすると邪魔をする・・・という有り様が非常に多いのが現実である。
『不甲斐ない』という思いを伝えてくる守護神を見ていると、可哀そうではある。
だが、それでは済まされないところ・・・刻限まで来ているのである。
【修祓】【雷華】を行って思うことは、やはり『容赦ない』ということである。
だがそれは神々の『愛』そのもの。
『情け』をかけて容赦してしまえば、恐らく取り返しがつかないのだろうと思う。
無駄のない峻烈な女神の指示は的確であり、その導きに瞬時に応えてゆけば『最善』の結果が得られるということを守護神にはよくわかっている。
聞き分けがないのは守護霊、霊人のほうであるが、峻烈な女神のごとく守護神も峻烈に実行して霊人たちを裁き指導してゆく。
上の二層がそうなれば、当然こちらに降りてくる導きも峻烈なものとなってくる。
『こちらでやるべきこと』
それを確と伝えてくる。
【多々羅(踏鞴)】とは火を起こしさらに大きくする鞴(ふいご)である。
つまりは『踏み続ける必要がある』ということ。
乙姫神の満干の珠の「呼吸」で風を起こし、木花咲耶姫神の火をさらに強烈な「炎」へと強める。
それにより『劔』は槌打たれて鍛えられ、最終的に【柱】となる。
それは三界でそれぞれ行われることで、こちらの現界で『何をすべきか』ということも伝えられている。
こちらでやることは『クンダリーニ』と『チャクラ』にエネルギーを送ること。
そのための「修身」が「踏鞴(たたら)」となって炎を立ち上らせる。
上の世界でも同じく「踏鞴」を踏んで炎を起こし、守護神と現界の人が結ばれる。
片方からだけではけっして岩戸は開かない。
表裏合わせて開かなければならないのである。
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