黄泉を隔てる地引の岩戸開けし 《癒奏術・高天ケ原》
黄泉の岩戸が口を開け わらわらと湧き出した霊たち
ここからさらに加速する 霊懸かりの人が増え行く
引かれ連れ行かれる者も 少なくないほど黄泉が重なる
自分の霊がどれかということ 解ってなければその身は誰ぞ?と
別人なりし霊懸かり 記憶を引き継ぎ霊が入れ替わる
自分と思っているものを 「記憶」の連鎖と勘違いして
その身はすでに別の人(霊留) 九分九分九厘の霊懸かり
百引く一の九十九霊(つくもがみ) 百引く一の九九理姫(くくりひめ)
肚を括(九九)れず魂魄(こんぱく)分離し 九十九の霊が入れ替わり
霊身一致の順番は 霊が身という衣を纏う
逆さまなるもの九十九霊 身に湧きたる霊 纏う九十九霊
百引く一の白山道 九九理の道は黄泉平坂(よもつひらさか)
岩戸開けしその時に 肚括り無くば御魂は彷徨い
幽界(がいこく)行きの彷徨う御魂 黄泉に流されさようなら
天地逆さの幽界御魂 わが身可愛さに座を譲る
身に使われたる魂は 巳に使われたる蛇(邪)霊となりて
黄泉に流され幽界行きの 片道切符でさようなら
自分自分と思いし自分 それは誠の自分かえ?
自分という名の記憶の連鎖に 自分などという魂は無し
記憶も霊の衣(ころも)の一部 どの霊が着ても同じ思い出
その身の記憶と御魂の記憶 その違いすらわからぬだろう
御魂の中の永劫の 記憶のかけらが星の如くに
散りばめられたる永久の時 大河の流れの天の川
今生の生の記憶の中の 身の記憶と魂の記憶
二つあること知らぬまま 身の記憶だけを自分だと
身に使われたる魂は 巳に使われたる蛇(邪)霊となりて
九九理の岩戸で二線に分かれ 幽界(がいこく)行きの御魂となりゆく
黄泉平坂の千引の岩戸 開いた口から重なる幽世(かくりよ)
魂魄一致の肚くくり 魂魄分離の九十九霊
分かれゆくこの岩戸開きは 重なる淡路の大鳴門
天の岩戸が開きた🌀と 地引の岩戸が開きた🌀が
重なり㊉(結び)のあるものを 天地で結ぶ亞和の🌀
百引く一の九九理姫 百引く一の九十九霊
二線に分ける大鳴門 三四五(みよいづ)結ぶ大鳴門
湧き立つ霊に変わられど 記憶の連鎖は続くだけ
記憶の連鎖が自分と思いし 九十九霊なる巳魂かな
五十黙示録 紫金之巻 第一帖
高天原、おのころに神祇(カミ)つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(つど)へに集へ給ひ、神はかりにはかり給ひて、下津岩根に真理(みや)柱二十(ふと)敷建て高天原に千木高知りて、伊都の神宝の大御心のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におき足らはして、天地祝詞(アメツチのりと)の二十(ふと)祝詞言をのれ、かくのらば神祇はおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊頭(いづ)の千別きに千別き給ひて聞し召さむ、かく聞し召してば、天(アメ)の国うつし国共につみと云ふつみはあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、朝風夕風の吹きはらふ如く、大つ辺に居る大船を舳(へ)ときはなち艫(とも)とき放ちて大海原に押しはなつ事の如く、のこる罪も穢もあらじと祓へ給へ清め給ふことを、よしはらへ、あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。 一二三四五六七八九十百千万歳万歳。
第二帖
大君の 勅(ミコト)にみそぎし 今朝の太陽(ひ)を吸ふ。
第三帖
伊豆幣帛(いづぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。
ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。早うめさめよ、因縁とは申しながら、かあいそうなからくどう申して聞かせてゐるのであるぞ、マコトの道にかへれよ、マコトとは一二三四五六七八九十と申してあろう、そのうらは十九八七六五四三二一で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士(不二、普字)と申してあろうが、まだ判らんか。
第四帖
豊栄に 栄り出でます 大地(くに)(九二)の太神。
第五帖
岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。
第六帖
白玉や 赤玉青玉 ささげまつりし。
第七帖
太祝詞(ふとのりと) のりのり祈らば 岩戸ひらけん。
第八帖
千引岩 今ぞあけたり 爽し富士はも。
第九帖
新しき 御代のはじめの 【たつ】の年、あれ出でましぬ かくれゐし神。
かくり世も うつし御国の 一筋の 光りの国と さきそめにけり。
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