【道】 ⦿と〇 ~世界柔道のジャッジに見える違い 《癒奏術・三四五》
オリンピックなどの世界大会の柔道で時々起きる審判の判定の齟齬・・・
日本の「柔道」と外国の「Judo」の決定的な違いがある。
それが⦿と〇
日月神示の「⦿」と「〇」は本当に「一文字」でそれを物語ってくれる。
柔道を始め剣道、合気道、空手道、茶道、華道・・・
それらに共通する「道」とは「⦿」の真ん中にある「・」である。
それは日本人独特のものであり、その根本にあるのが「神道」である。
人の心の中に神が住まう。
だから心の中は「お天道さんが見ている」という前提条件を日本人は持っている。
どんなに嘘をつこうとも、結局は「お天道さん」にすべて見透かされているから・・・恥ずべき行為は行えない。
それが「道」の根源
「お天道さん」とは『天照大御神』である。
しかし、外国人にとっては「道」というものはない。
彼らには「ルール」という「〇」が大切なわけである。
「・」がおのずと「〇」を決めて「⦿」となる日本人と、「・」が無いから「〇」が何より大切な外国人。
その違いが世界柔道で時々現れる。
世界広しといえども「⦿」の宗教観を持っているのは日本人くらいである。
外国の宗教は「教義」「「経典」という「〇」がなければ成立しない。
しかし日本人は「・」という「道」に沿うことで「神道」という宗教を成立させており、「教義」や「経典」という「教えに従う」ことよりも、日々の生活全般に「・」を入れて生きているわけである。
だから外国人が「Judo」ではなく「柔道」を理解しようとするなら、日本人と同じような「道」の生活を体験し、心の中の「恥」というものを知らねばならない。
日本で生まれ日本に暮らしながらでなければそれは無理だろう。
だから日本人同士の柔道は「⦿」と「⦿」の試合であるが、世界Judoの基本は「〇」なのである。
「〇」が基本である者に「⦿」ではないと言ってもはじまらない。
根本がそもそも違うのだから。
だが昨今の日本人を見ていると「〇」が増えたと言わざるを得ない。
銀論も「〇」と「〇」の言い合いばかりであり、基本「〇」の人は「⦿」の人を解しない。
「・」が完全に「抜け落ちている」日本人ばかりを目にするようになった。
簡単に言うと「理屈(〇)」ばかりの人間が増えたということ。
真ん中に「・」がある『前提』をすでに失ってしまった人が多いのである。
世界的な柔道を見ていると、それを思い出す機会もあるだろう。
日本人と外国人の決定的な違い・・・・
それが「道」であり「・」である。
そして、日本人が急速に失いつつある「道(・)」
神国御魂(⦿)と幽界(がいこく)御魂(〇)・・・ということである。
ひふみ神示 磐戸の巻 第十四帖
生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、皆にまつろひておけと申すのざ。可哀さうなは兵隊さんざぞ、神に祈りてやりて呉れよ。幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にゐる幽界魂(がいこくたま)の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。
水の巻 第十四帖
今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。
ウメの巻 第十帖
悪い事は陰口せずに親切に気付け合って仲良う結構ぞ、陰口 世をけがし、己(おのれ)けがすのざぞ、聞かん人民は時待ちて気付けくれよ、縁ある人民 皆親兄弟ざぞ、慢心取違ひ疑ひと、我(が)が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。時来たら説き出すものぢゃ、親の心察して子から進んでするものぢゃ、その心よきに幸(さき)はふぞ、もの聞くもよいが、聞かんでは、判らん様では幽国(がいこく)身魂ぞ、神の臣民 親の心うつして云はれん先にするものぢゃぞ。世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して、地(くに)の岩戸 人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その気魄 幸(さき)はふのざぞ、岩戸開けるぞ。
夏の巻 第二帖
・がよろこびであるぞ。また・の・はムでもあるぞ。内から外に向って行くのが⦿のやり方、外から内に向って行くのが、がいこく(〇)のやりかた。〇から・に行くのは、マコトが逆であるから、マコトのことは判らん。外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ。元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ。⦿から出て・にかへり、無限より出て有限に形し、有限から無限にかへり、又有限に動くのがマコトのやり方であるぞ。マコトの理解者には甘露の水ぞ。
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