【審神者】~天照の鏡 《癒奏術・華厳の章》
審神者(サニワ)とは「客観的に神を審査する者」である。
だがその前に前提条件がある。
それは「おのれ自身をサニワすること」である。
【嘘】が少しでも混じればすべてが「穢れ」ゆく。
ゆえに自分自身を「浄玻璃の鏡」に映し露わにして、その姿を「確と」見つめなければならない。
だが、人は自分で自分をも騙す。
だから、更に「自分自身を浄玻璃の鏡に映して見ているその客観的な自分自身をも【鏡】に映す」必要がある。
俯瞰して眺めている「つもり」の自分の姿を更に映し出すということである。
三種の神器であるアマテラスの【鏡】は本来「ふたつ」なければならない。
だが、【瓊瓊杵尊】は鏡を一つしか用いなかった。
「俯瞰する自分をさらに映す鏡」など『見にくい』として・・・・
磐長姫を『醜い(見にくい)』として廃したのである。
それゆえ世界は「自分を偽る」世界と相成った。
アマテル神の隣で二つの鏡を持つ【瀬織津姫】
それは、「八岐大蛇」という『穢れ』を鎮め、二度と暴れさせないため。
だが『岩戸』は塞がれ鏡は一つとなった。
だから『穢れ』は再び世界に広がり、大蛇となって暴れているのである。
かつて「天の益人」達が犯した『過ち』を再び繰り返し、世界に『穢れ』がまき散らされて『八岐大蛇』と化している。
自分の中の『穢れ』を祓いきれず、『穢れ』が残ったまま幾千年を経て増えに増え、大蛇となって暴威を振るう。
【浄玻璃の鏡】は一つでは足りない。
二つ無ければ玻璃(水晶)のように浄くはならない。
岩戸の中に閉じ込めた【磐長姫】の鏡は【神】をも映す【鏡】である。
おのれの【魂】を・・・
そして、そこに光る【神】をも【審神者(サニワ)】する【鏡】。
そこに映し出された神々は、穢れたおのれの「醜さ」を垣間見ただろう。
だから【神々】が自ら封じた。
神々も、守護神たちも『改心』せねば押し流す【瀬織津姫】の大祓。
それらを呑み込む【速秋津姫】
根の堅洲国へ吹き飛ばす【気吹戸主】
根の堅洲国で【神】といえども『お出直し』させる【速佐須良姫】
改心する神せぬ神どちらも神社からは消え失せ始めている。
すでに【大祓】は始まっているのである。
天の岩戸は押し開かれて『二つ鏡』を携えた【瀬織津姫】はとうに現れ、【鏡】たる【木花咲耶姫】【磐長姫】共に岩戸の中から既に出ている。
そして【神々】は既に【審神者(サニワ)】され、大移動が始まっている。
人に寄り添うはずの【守護神】も・・・である。
だから「二線」に分かれると何度も言ってきた。
【守護神】が「改心」出来なければ「お出直し」なのである。
そして【守護神】を失った【人】はどうなるか?
それが『九分九分九厘の霊懸かり』である。
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