『悪を抱きまいらせる』~クンダリーニ覚醒の根本 《癒奏術・華厳の章》




世界の諸悪、身の回りの諸悪、そして自分の中に生まれる対抗するための悪。

それらを『抱きまいらせる』ことがクンダリーニ覚醒には欠かせない。


諸悪に対抗する自分の中の『悪』という凝り固まった大きな滞留を鎮めるために「ねじ伏せる」。

腕の中からこぼれてあふれ出る『悪』をすべて抱き留めてゆく。

その『悪』を抱き続けてついに鎮まる時、クンダリーニの蛇が立ち上がる。


クンダリーニの蛇は浄化された「炎」であり、昇華された「怒り」である。

怒りの炎で焼かれる自分自身に耐え、その暴れる炎を抱きしめ「浄化」し続ける。

そうして浄化された「炎」は「怒り」から「光」へと転化する。



『悪を抱きまいらせる』その力は【天津彦根神】と【乙姫神】の観音力であり、そこから産まれる【天目一箇神】が鋼の『柱』たる【剣】を打つ。

その【剣の柱】が出来上がった時、柱を回りながらクンダリーニの蛇が立ち上がる。

「柱」を立ち上るクンダリーニの蛇は【活津彦根神】と【多岐都姫神】の【慈愛の龍】である。


自分の中の『悪』を『抱きまいらせる』という【自愛】が【慈愛の龍】を産む。

その【慈愛】とは【活津彦根神】と【多岐都姫神】の御子、【高照姫】という「立ちのぼる光」そのものなのである。

クンダリーニの【シャクティ】そのものなのである。



悲哀や恐れから生まれる「怨嗟」という「悪の炎」を抱いて抱いて抱き続けて・・・

混じり気の無い純粋な「炎」となってはじめて【慈愛】となる。

情けの水に浸れば「炎」は消える。

「喜び」に逃げ出せば「炎」は消える。


自らの「怨嗟の業火」に焼かれながら【慈愛】を掴んだ【乙姫龍】は

仏陀への「怨嗟」の業火を【慈愛の炎】と転化させ得たのである。



「怒り」の根源にあるものは『愛』である。

悲しみや恐れに対抗する『自愛』から産まれる『護るための気』。

されどそこには邪(よこしま)な灰汁(悪)が混じって「怨嗟の炎」となっている。

ゆえに「邪」を祓い純粋な「炎」となればそれは『慈愛の炎』となる。



悲しみや恐れから逃げた者に【慈愛】の龍は芽生えない。

悲哀の炎に焼かれても尚、【自愛】を貫いた者にだけ芽生える花。

それは雪を押しのけ凍てついた氷を破って開く【梅の花】。

クンダリーニ覚醒と同時に開く総てのチャクラの【花】である。