邇芸速日という素戔嗚と、長髄彦という建御名方 そして物部守屋という建御雷 《癒奏術・水火土の章》





長髄彦が神話の中で「建御名方神」となり諏訪の地に押し込められた・・・


突然『建御名方神は長髄彦』と降りてきた言霊を追いかけていると

「あぁ、なるほど。」

と納得してしまう。

記紀や先代旧事本記や秀真伝(ホツマツタエ)や、その他様々なものを改めて見直してみると、先ほどのように「あぁ、なるほど。」と符合し頷く。


そして、その前提で一歩下がってもう少し広く眺めてみると、「邇芸速日命と長髄彦」の関係は、そのまま「素戔嗚と稲田姫の親(足名椎命)」と重なる。



神話はそもそも現体制のための礎である。

であれば現体制の始まりの物語であるのは当然のことである。



始まりは「天の岩戸隠れ」

世は神政から人政へと移行した。

そして、前政の支配者を「悪」とする物語は、新政を正義とするために欠かせない。

素戔嗚を悪とし、長髄彦を悪とする。

長髄彦を追った「守矢」は物部守屋。

物部とは名字(氏)に非ず、武を司る役職である。

守屋のほうが氏(うじ)であろう。

ちなみに守矢氏であるが、その家紋は㊉(丸に十)である。


物部の氏神は建御雷神であった。

建御雷神が建御名方神を負かしたというのは、守矢が長髄彦を負かしたということであろう。

そして長髄彦は事代主神の末。

事代も役職であり物部の一員である。

その物部の長(おさ)が大物主。

初代大物主が大己貴(多名持)である。

たくさんの名で語られるから多名持であり、様々なところで様々な名で語り継がれている。

その大物主が引退し、次の二代目は事代主から役代わりをした。

それは大国主が隠居し、事代主が後を継いだのと重なる。


そして話は「国譲り」へと移ってゆく。



話は素戔嗚へ移る。

八岐大蛇を退治した素戔嗚は、出雲の須賀の地に宮を建てる。

いわゆる「八重垣の宮」である。

ここに現在「須我神社」というものがあるが、ここから更に「素戔嗚=邇芸速日」を関連付けるものへとたどり着くが、それはまたの機会にする。