【⦿と〇】 愛(⦿)と情け(〇)と誠(⦿)と理屈(〇) 《癒奏術・惡の章》





人は人として「どう在るべきか」などということはとっくにわかっているのである。

子供のころからずっとわかっているのである。


わかっていながらそれを「しなくていい」ようにするために、様々な理屈をこねて「情」に訴えて、「真ん中」に在るべきものを「ズラす」ことを覚える。


理屈をかためて「だから真ん中はここ」というふうに、本来の「在るべき真ん中」からズラしてゆく。

また、「情」に訴え「だから仕方がないんだ」として、屁理屈をこねて真ん中をズラしてゆく。




大人になればなるほどに

言い訳を増やして「誠」をズラして曲げてゆく



心の中ではわかっている

わかっていながらわからないふりをして

またはわかっているふりをして情け心を理屈で固めて、その「真ん中」を「真ん中」とする

当然自分自身では「ズレて」いることなどわかっている

わかっていながら「〇」にしがみつき、「⦿」であると自分を騙す



騙しきれなくなってきたら、新しい「〇」を求めて彷徨い

見つけてはそこに留まり

騙しきれなくなれば移動する

その繰り返し・・・・


あっちふらふらこっちふらふらと

真ん中をズラし行く人生



引き寄せだ、法則だと言いながら、「今だけ金だけ自分だけ」の「・(真ん中)」を「〇(理屈)」で正当化し行く。


「愛」を偽り「情」に訴え、理屈を固めて「〇」を作って、その真ん中にあるから「愛」だと屁理屈こねる。



ズレて歪んで捻じ曲げて、なんとか「在るべく真ん中」から逃げ続ける。


【神】さえ歪めて真ん中からズラし、屁理屈固めて逃げ続ける。




改心する気などとうに無い。

在るべく在る真ん中を隠し、自分を騙し他人を騙すことに必死なのであろう。



真ん中は

愛であり、義であり、良心であり、矜持であり

当たり前のように誰もが持っているもの


それを捻じ曲げズラして逃げ続ける

屁理屈がまかり通る「学の世」は、天地逆さの「悪の世」である。




【神(⦿)】と【学(〇)】との大戦

九割八分の「学の民」

わずか二分の「神の民」